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おじさんの音楽レビュー#29 『話がしたいよ / BUMP OF CHICKEN』

話がしたいよ / シリウス / Spica (初回限定盤)(CD+DVD)

【話がしたいよ / BUMP OF CHICKEN

 

■最近、BUMP OF CHICKENの活動が、とても活発になっている。

 

おそらく、もうすぐアルバムが出るのだろうけど(今年はもう無いかな、そうなると来年は確実だろうな)、もうその収録曲をほとんど出し尽くしたんじゃないかってくらい、新曲リリースのラッシュが続いている。

 

ちょっと列挙しただけでも、おそらく、

 

リボン 記念撮影
シリウス spica
pathfinder 望遠のマーチ
話がしたいよ 月虹
(流れ星の正体)
(PFで藤原が弾き語ったらしい新曲)
※追記 アリア アンサー 忘れてた…

 

辺りはきっと入るんじゃないかな。括弧付きの曲は、もしかしたら入らないかもしれないけど、他は多分入ると思う。今回のライヴツアーは、いわゆる”引っさげないツアー”だったので、こんなに曲が溜まっているのかな。

 


■何か、毎回BUMPの記事を書く度に言っていることなんだが、アルバム『RAY』の後あたりから、BUMPの音楽・作る歌が、自分にあんまりヒットしなくなった。それは、とても寂しいことだけど、何だかんだ、毎回新曲はチェックするし、今回もこうやって記事を書いているし、これからもシングル(デジタルはあんまり好きじゃないから、ちゃんと円盤で出してくれ)やアルバムは買っていくと思う。

 

何だかんだ、BUMPはずっと好きなんだなって思う。

 

先日、【話がしたいよ】という新曲のデジタルシングルが発売され、同曲のMVが発表されて聴いた。これが、とてもいい曲だった。久しぶりにいい曲だなって心の底から思った。こういう曲が、たまに出てくるから、BUMPのファンは辞められない。

 

ダウンロードについては、どうせ11月にシングルが発売になるので、今回はちょっと見送って、MVばっかり見てこの曲を楽しんでいる。

 


■今日は、その【話がしたいよ】について話をしようと思う。

 

この曲は、『億男』という映画の主題歌になっている。最近のBUMPの新曲は、何かしらのタイアップがつくことが通例になってきた。映画も面白そうなので、ちょっと興味が湧く。

 


その主題歌、【話がしたいよ】。とてもいい曲だと思った。

 

曲の感じは、バラードではあるんだけど、演奏や藤原さんのボーカルがかなりエモーショナルなので、ゆったりとした曲調とは裏腹に、とても派手に聴こえる。これまでの曲だと、【友達の唄】とか【コロニー】に似ているかな。それらより、派手には聴こえるかもしれない。

 


BUMPの曲を聴くときに、僕が一番楽しみにしながら聴くのは、やっぱり藤原さんの書く詞である。藤原さんの書く詞は聴くものであると同時に、”読み物”であると思う。それは、今回の【話がしたいよ】の歌詞も変わらなかった。

 

歌っている内容としては、”君”が居なくなって、独りになった”僕”が、”君”の居ない日常に取り残されたような感情に苛まれ、何気ない日常の風景を眺めては、もし君が居たらどんなことを話すんだろう、話がしたいよ、という感情を吐露しているという内容になっていると思う。

 

こう言うとなんだけど、一緒に居ることはもちろん大事だとしても、藤原さんにとっては、会えない時、一緒に居ない時、その人のことを想っていることも同じくらい大事に思っているということなんだと思う。

 

まぁ、思い返してみると、こういう歌を藤原さんは度々書いてきているから、そんなに大それた題材では無いような気はしている。まぁ、要するに、散々書いてきて使い古されたような題材なんだよね。でも、そこに藤原節が効くと、同じテーマでも、曲ごとに全く違う印象を受ける。

 


■ちょっと、歌詞をなぞりつつ、感想を言ってみる。ちなみに、YouTubeの動画にすでに、公式が歌詞を載せてくれているので、ありがたい。

 



持て余した手を 自分ごとポケットに隠した
バスが来るまでの間の おまけみたいな時間

 

街が立てる生活の音に 一人にされた
ガムと二人になろう 君の苦手だった味

 


ガムを紙にぺってして バスが止まりドアが開く

 

前者は曲の冒頭の歌詞で、後者は曲の終わりの歌詞である。個人的にも、一番印象に残っているが、この歌を象徴しているものとして、”バス”と”ガム”という言葉が出てくる。

 

MVのように、実際に藤原さんがバスを待っている時に、この詞を思いついたのかは定かではないけれど、”バスが来るまでの間”に”僕”が物思いにふけっている光景は思い浮かぶ。

 

この歌の中の、”バス”という言葉の役割はなんだろうか。まずは、日常の風景の象徴として使われていると思う。人々の生活に欠かせないものの一つである”バス”を書くことで、しかも感情も持たない無機質なものだから、歌詞の中のフレーズを使えば、”街が立てる生活の音に 一人にされた”を表現しているのだと思う。

 

あとは、”バス”はどこか遠くへ行くための手段の象徴でもある。何ていうか、大げさに何処か遠くへ行くような歌ではないのだけれど、この歌の内容として、どんな別れの形かは置いとくとして、”君”が居なくなっている状況があって、それを”僕”が(受け入れがたくとも)受け入れて、そこから離れていくということを、”バス”が比喩しているとも考えられる。

 


それから、”ガム”について。冒頭では、”ガムと二人になろう 君の苦手だった味”と歌われているが、これは、要は居なくなった”君”を近くに感じたい、という”僕”の感情の象徴だと思う。

 

”ガム”の味は分からないけど、”僕”と”君”には、苦手な味のガムについて、何か特別な思い出があるのかもしれない。そんな、特別な思い出を、”ガム”だけに噛みしめたかったのかもしれない。

 

そして、最後は”ガムを紙でぺってして”という歌詞、独特で面白いんだけど、これも先ほどの”バス”の話と同様、君が居なくなった状況の受け入れようということの比喩になっているのかもしれない。

 



ボイジャーは太陽系外に飛び出した今も
秒速10何キロだっけ ずっと旅を続けている

 

BUMPファンには、見逃せない歌詞だよね。BUMPはかつて、アルバム『orbital period』で【voyager】(ずばり、ボイジャーと読む)という曲を発表した。もうそれが、10年以上も前になるんだよね。

 

曲のつながりは不明だけど、こういう”昔の曲のかけら”を新しい曲に散りばめる感じは良いよね。

 

ちなみに、現在のボイジャーはというと、2016年の時点で、1号機が太陽から約205億2500万km(137.201AU)離れたところを飛んでいたらしい。1977年に打ち上げられて、40年以上も宇宙を飛んでいることになる。それはそれはとても遠くにあるんだろうなってことは理解できるんだけど、このままのスピードで進んでも、太陽系に一番近い恒星に到達するまでは、約8万年かかるという…8年じゃなくて8万年ね、途方もないね。

 

あと、ボイジャーの電力は、2025年くらいまで持つんだとか。

 



体と心のどっちに ここまで連れて来られたんだろう
どっちもくたびれているけど
平気さ お薬貰ったし
飲まないし

 

自分の中で、一番グッときたのは、ここの歌詞だった。まぁ後半は、半分ネタみたいなもので、「おい藤原、もらったんなら、ちゃんと飲まないと!」とツッコミたくはなったけど。

 

”体と心のどっちに これまで連れて来られたんだろう”、ここが本当に、この歌を聴いていて、個人的なハイライトだった。

 

要は、自分が思うように、ちゃんとここまで来られたのだろうかと、自分の歩みを振り返っているんだろうけど、こういう書き方ができるのは、本当に藤原さんだなぁて思う。”体”と”心”を、別の生き物のようにきっと見ているんだろうね。”体”に”心”が宿っているんじゃなくて、両方に別々の意思があるみたいに。

 


■そして、サビの歌詞。

 


この瞬間にどんな顔をしていただろう
一体どんな言葉をいくつ見つけただろう
ああ 君がここにいたら 君がここにいたら
話がしたいよ

 

一番印象に残った、かつ分かりやすいところを紹介したい。”この瞬間”とは、おそらく日常の何気ない風景を指しているのだろう。そういう何気ない風景を、もしも”君”と二人で見られたら、”君”は何て言うんだろう、”僕”は何て言うんだろう、話がしたいよ、とこういう感情を吐露している。

 

ところで、”君”と”僕”は、どういう形で別れたんだろうね。例えば、一番悲しい別れの形だと、”死別”というものがある。もしそうならば、永遠に会えない君のことを想っているという、とりわけ悲しい物語が出来上がる。

 

…まぁ、個人的にはあんまり”死別”っぽくは思わないので、違う別れの形を想像しようとしている。藤原さん的にいうならば、「歌はリスナーに届いて完成する物」だから、ここら辺の想像は、僕らが勝手に物語をくっつけていいんだと思う。

 


僕個人的な思い出を語らせてもらえるならば…

 

バスやガムは全然関係ないんだけど、大学の時、好きな人が居て、その人と川べりの階段みたいなところや公園のベンチに腰かけて、夜中~朝まで(大げさでも何でなく、十時間以上も)話をするのが日課になっていた。それが来る日も来る日もだったから、大学の講義をサボったりしたこともあった…のは内緒。

 

朝方になってようやく、今日は帰るかってなって、じゃあねってした後の、何とも言えない寂しい時間ね。まさに、”街が立てる生活の音に 一人にされた”状態だったね。街はもうすっかり、今日が始まっていて、人々の営みが始まっていて、その中を逆走するように、自分のアパートに帰っていく時の寂しさね。何とも言えない背徳感というか、されど高揚感も感じつつ。

 

…何か、そういうことを、急に思い出した。おじさんにも、そういうことがあったんだよ苦笑

 

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